先日、とある論客の文章を読みました。
以前よく見かけた人だったので、懐かしさを覚えつつ読み進めたのですが、読み進めるほどに苦痛が強くなっていきました。
テンポの悪い文章、無駄な自分語り、一向に見えてこない結論……
正直に言って、とても読む価値があったとはいえない代物でした。
私は人一倍文章は読むほうで、かなりの長文にも耐えられます。
それでも、このブログを読むのは大変でした。
どうして以前はこの人のブログを読んでいられたのだろうなぁ、と不思議に思ったものです。
同時に、これではブログがYouTubeに勝てないはずだよ、とも思いました。
かなりうまく書かれた文章ですら動画ほどにはPVを稼げないのに、出来の悪い文章では動画に太刀打ちできるはずもありません。
このブログはブログとしてはけっこう読まれていたものなので私の目に入ったのですが、ブログ界で上位のレベルがこれでは……と思わざるを得ないのです。
ここで、私はしばらく考えました。
なぜ以前はこの人のブログを読んでいられたのだろうと。
その人が年を取り、以前ほどいい文章を書けなくなった可能性はもちろん考えられます。
でも、そもそも今、私はブログをほとんど読んでいないのです。この人よりいい文章を書ける人は何人も知っていますが、その人達のブログも読んではいません。
結局、YouTubeなどの動画コンテンツに、ブログよりはるかに面白いものが数多くあるからです。
ブログの質がどうこう以前に、動画の利便性が高すぎるのです。
動画が台頭する以前のネットはテキスト中心で、コンテンツにもあまり大したものはありませんでした。
この時代、大したことを書けないブログでも、「旬の話題を扱っている」というだけで存在価値があったのです。
表のメディアが取り上げないネット向きな話題は、ブログが扱うしかありません。
非リアがどうだとか、文化系女子がどうだとか。
こうした話題について、ある程度の長文が書ければ、それだけでいっぱしの論客のような扱いを受けられる時代がありました。
そうした文章のほとんどはなんのエビデンスもない、ただの主観を書き連ねたものだったのですが、それでもマスコミにはない視点から書かれていたために、当時としては新鮮に映りました。
しかし時代は移ろい、今はすっかり動画コンテンツが中心の時代になりました。
ブログよりはるかに演出や構成が凝ったものに慣れてしまうと、ブロガーの文章などとるに足らないものにしか映りません。
結局、ブログは動画が出てくるまでの過渡期の文化にすぎなかったということでしょうか。
そうまとめるのも乱暴な気がしますし、文章にだってまだまだやれることはあるだろう、と言いたくもあるのですが、そういう自分自身、今は動画ばかり見ているのです。
より充実したコンテンツに目が奪われるのは、仕方のないことではないでしょうか。
今後、よほどのことがない限り、私はブログに目を向けることはないでしょう。
ブログでの議論を見る暇があるなら、アマプラでアニメを見るでしょう。
そちらの方が確実に充実した時間を過ごせますから。
という話をブログで書くのも妙なものですが、まぁこれはただのメモ書きです。
特に読んでもらいたいわけでもありません。
こうした文章は、ひっそり埋もれているのがちょうどいいのです。