「もっとイケてる自分になりたい」。これが以前、私が作家をめざしていたおもな動機です。
とはいっても、当時はっきり自覚できていたわけではなく、今思えばそうだったな、ということです。
自己評価の低い私は、小説を市場に認められることで、自分の価値を高められると思っていたのです。
仕事も冴えない、恋人もいない、たいして打ち込める趣味もない──何もかも灰色の毎日に光をもたらしてくれるのは「プロ作家という肩書き」だと、なぜか思い込んでいました。
もっと具体的にいうと、私は「創作上級サロン」の住人になりたかったのかもしれません。
ツイッターの創作用アカウントで、私はプロ同士の小説をめぐるやり取りを何度も目にしました。作家志望者たちがそれに真剣に聞き入る様子も。
プロ作家になり、私も一人前に創作論などをぶってみたい。私の言い分に耳をかたむける聴衆に囲まれてみたい──という欲が、確かにあったように思います。
アマチュアの身で創作論を語ってみても、あまり真剣には聞いてもらえません。
プロになることで、私は創作界においていっぱしの人間として認められるはずだ、と思い込んでいたのです。
もちろん、私は小説が好きで、自分なりに真剣に取り組んでもいました。
ですが、何度もネット経由の賞に応募してみても一度も受賞はできず、趣味で書いていた作品が人気作になることもありませんでした。
自己評価に作品の評価が追いつかず、私の心はしだいに曇っていきました。
当時プロ作家とも少しは交流があり、あなたならいつかはデビューできるという言葉もいただいていたので、現実が追いついてこないことによけいに腹が立っていたのかもしれません。
その作家の言葉は社交辞令ではないのか、と冷静に省みるだけの余裕も、当時の私にはありませんでした。
私自身が何も結果を出せずにいるなか、周囲の創作仲間たちは次々にデビューを決め、プロ作家の世界へと羽ばたいていきました。
彼らからは何度か慰めの言葉ももらいましたが、むしろ余計にみじめな気持ちになったものです。
そんな折、私は気晴らしのために花見に出かけました。
菜の花と桜並木が延々と続く光景を味わい、県内でも有名な美味しいラーメン店で昼食をとり、最後はブックオフに立ち寄りました。
地元からは少し離れた店舗だったので、古本の品ぞろえも違い、新鮮な気分に浸りました。
しばらく100円本の棚を眺めるうち、私はあることに気づいたのです。
「あれ、今自分は幸せなんじゃないか?」と。
この気づきは、私にとってかなり強烈なものでした。
私は、幸せになるには小説が高評価されなくてはいけない、と思い込んでいました。
でもこの日、私は作品の評価とは何も関係なく、心から幸せを感じていたのです。
だとすれば、なぜ今まで必死に評価されたがっていたのだろう……?
私の幸せは、プロ作家になれるかどうかとはまったく関係ないんじゃないか?
そう疑いはじめたのです。
これは、私の価値観が根本から揺さぶられる体験でした。
幸せとは何か、なんて哲学的な議論をここでする気はありません。
確かなことは、その日ブックオフで古本探しに夢中だった私が幸福を感じていたことです。
なぜ幸せだったのか。思うに、この日はプロになるために先行作品を研究しようという気持ちを持たず、純粋に好きな本を探していたからでしょう。
当時、プロになりたかった私は、流行りのウェブ小説を読んで読者の嗜好に合わせなければ、と思っていました。
現実を考えれば必要な努力ではありますが、これがまったく楽しくなかったのです。
でもこ日はストレス解消のための外出で、研究を度外視して本を選んでいたため、心ゆくまで本探しを楽しめたのだと思います。
幸せになりたいなら、ただ純粋に読者視点から本を選べばいい。
私はウェブ小説の「傾向と対策」を考えるあまり、こんな簡単なことを忘れていたのです。
この花見の日、私はウェブ小説の並ぶ棚なんて見向きもしていませんでした。
好きでもない小説を無理して読んで、対策を練ったところで、結果など出るでしょうか。
苦痛を感じながら、無理に読者におもねった作品を書いたところで、いい作品にはならなかったはずです。
そのことに気づいてから、私の心を覆っていた暗雲は、少しづつ晴れていきました。
とはいうものの、この時を境に一気に私の心が健全さを取り戻したわけではありません。
その後も何度もプロ未満の自分はダメ人間だ、という気分がぶり返し、闇堕ちしそうになっています。
この状況を打開するため、私はある決断をしました。
そのことについて、次回はお話ししたいと思います。