この日の出来事についてですが、なぜ本探しがあんなに楽しかったんだろう?と不思議に思うことがあります。
上記の記事ではウェブ小説の研究のためではなく、たんに楽しみのために本探しをしていたから、と書いていますが、私はもともと重度の活字中毒者だったわけではありません。
むしろ本よりもゲームが好きな人間でした。読書はせいぜい2番目くらいの趣味です。
本好きだったことは確かだし、だからこそ創作の手段として小説を選んだのですが、小説だってそんなにたくさん読んでいたわけでもありません。
でもこの気づきがあった日、私は心から本探しを楽しんでいたのです。
もちろん花見という「ハレ」の日だったから、という事情はあります。でも、小説をはじめる以前は、花見のついでにブックオフに寄るなんてことはありませんでした。
でも今では旅行に行くたびに、旅先のブックオフに立ち寄るほどのブックオフ好きになっています。
ゲームにだんだん飽きてきたこともあり、今では読書が一番の趣味です。
こうなったのは、おそらく私にワナビ時代があったからだと思います。
私は歴史小説やファンタジーを多く書きましたが、時代考証をしたり世界観をつくるため、多くの知識を吸収しなければいけないと考えました。
小説世界に厚みを持たせるため、歴史や宗教・哲学・美術・神話・政治経済など、多くの本を読みました。
先行作品の研究も必要なので、小説も読む幅をひろげ、今まであまり読んでこなかったSFやミステリ・時代小説・異世界系のラノベなど、さまざまなジャンルの名作に学びました。
その結果、私は大の読書好きになっていたのです。本を読むスピードも格段に上がりました。それもそのはずで、本は知識が多ければ多いほど楽に読めるものです。以前は挫折した学術書なども読めるようになり、日々の楽しみが格段に増えました。
異世界系はいまだになじめないところはありますが、それでもこのジャンルの読者が何を求めているのか、はおおむね把握できました。
その結果、ウェブ小説というやや特殊なジャンルについて分析する眼もできたつもりです。
読書能力は、ある程度無理をしないと伸びないのかもしれません。
私の場合、プロ作家になるために多少背伸びをしてでも多くの本を読む必要がありました。
結果、読書能力が大幅に伸び、それまであまり触れてこなかった古典も楽しく読めるようになりました。
個人的に、これはかなり大きな収穫でした。東洋思想のおもしろさに目覚め、ギリシャ悲劇の美しさを知り、仏典にも親しんでいる今が、読書生活においてもっとも充実しています。
古典は安く売っているものも多いし、高いものでも図書館に行けば読めるので、財布に優しいのもいいところ。
くわえて、古代の賢人たちの言葉は、力強くこちらを励ましてくれます。「禅は命の源泉から水を飲むようなもの」という鈴木大拙の言葉がありますが、私にとっては、古典を読むのは生命力を書物から分けてもらう行為なのです。
長い時を経て淘汰されずに残っている書物には、やはりそれだけの価値があります。
私は、長く見積もれば5年ほどの時間をプロ作家になることに費やしました。
少し前までは、まったく無駄なことをしたと嘆いていたこともあります。
ですが、この間に培った読書力は、大いに私の力になってくれています。
長い目でみれば、何事も無駄ではないのかもしれません。